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現在の時刻は9時半、目覚めたのは5時半で寒くて目が覚めた。
そこから二度寝して、次に目覚めたのは7時半。
5時半と7時半のときは体が痛くて今日も駄目かなと思った。
でも、この時刻になったら体調が良くなった。
とは言え、左右の眼の焦点の調子は同じで、左右の耳鳴りの調子も同じだ。
ただ身体の節々の痛みは薄らいでいる。
やはり 10時近くにならないと身体のリズムが戻ってこない。
今日は昼飯を食べたらまた野外リハビリウォーキングに出かけようと思うのだが、今日のコースはどれにしようかな......
昨日のリハビリセンターでのリハビリ指導は階段の上り下りだった。
上りはなんとかできたが、やはり下りは怖い。
それでもセンターの指導員がついていてくれたので心強かった。
何かあれば指導員が助けてくれると思うから安心して階段を下れた。
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09:47, Sunday, Jan 19, 2025 ¦ 固定リンク
人は、互いに求めあって、互いに必要とされている限り、守り合うものなんだよ。
それは、取りも直さず、その人自身をも守ることに成るからだね。
なんだかんだ言っても、誰でも自分は可愛い、だから、そこに力関係や権威というモノが存在でき、それを利用したり、それにすがる人がいる。
それを「いいか、悪いか」を論じたとして、その主張を社会が甘んじて聞いてくれるのは、それは青臭いガキの時代だけ。
社会に存在するのは、それが「いいか、悪いか」ではなく、それが例え悪くても、社会にとってそれが必要かどうかなんだよ。
「必要悪」と言う言葉あるんだよ。
逆に、その主張がどんなに正論であっても、それを社会が必要と認めない限り、その主張は受け入れられないのだよ。
それが社会と言うものなんだよ。
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09:46, Saturday, Jan 18, 2025 ¦ 固定リンク
他人と関わり合いを持つときに気をつけないといけないことがあるとしたら、わたしが思うにそれは1つだけだと思うね。
それは、「相手にどこまでなら自分の内面に責任と覚悟を持って踏み込ませる事ができるか」ということと、「相手の内面のどこまでなら、自分は責任と覚悟を持って踏みこめるか」ということだね。
どっちもそれなりの自分の責任と覚悟が必要だと言うことだね。
相手の内面に深く踏み込めば踏み込むほど、それだけその相手の人が抱える「闇」に近づいて行くことになり、やがてそれまで観えなかったその人が抱える「こころの闇」そのものを知ることに成る。
また、逆に自分の内面に深く踏み込ませれば踏み込ませるほど、やがて自分が抱える「こころの闇」の部分をその人にさらけ出すことになる。
もし、その踏み込みが中途半端だと、返って互いにこころに傷を負うことになり、対人恐怖症というトラウマを抱えてしまうことだってありえる。
だから、他人と関わり合いを持つときは、どこまでなら自分は責任が取れて、自分はどこまでの覚悟を持てるのかが、大事な要素になる。
もし、それがわからないなら、中途半端に相手に踏み込ませることも、相手に踏み込むこともしない方が良い。
そういうときは相手との距離をできるだけ安全だと思えるような範囲でとり、そしてその距離を保つことを心がけたほうが良い。
とわたしは思うね。
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09:40, Saturday, Jan 18, 2025 ¦ 固定リンク
7:30に起きた時体調は最悪。
今(9:10)でさえ外気温3度で体感温度は6度
息苦しいし右首や右肩、腰や右膝などの痛みが強い。
左右の眼の焦点の違いも相変わらず悪い、左右の耳の耳鳴りの違いも酷い
妻に、痛いところにバンテリンを塗りたくってもらった。
少し楽になった。
今日はセンターに行く日なので身体の痛みが取れてよかった。
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09:04, Saturday, Jan 18, 2025 ¦ 固定リンク
今日の体調も最悪。
朝から息苦しいし、右首や右肩、腰や右膝などの痛みが強い。
目の調子も相変わらず悪い・・・・
妻にロキソニンSシートを右首や右肩、腰や右膝などに貼ってもらおうと思ったが在庫が三枚しかないという。
三枚じゃ足りないので、仕方がないからバンテリンを塗りたくった。
息苦しさは変わらないが、「気管支拡張剤は続けて使用しないように」と言われているので今日は使わなかった。
でも面白いことがあった。
バンテリンを塗りたくったお陰か家の中で小走りができた。
今まで小走りどころか歩くのもやっただったのにだ・・・・・
そしたらそれまでの鬱々した気持ちが晴れてなんか嬉しくなってしまった。
だから、気温は低くて底冷えがするなか、ひとつ先の駅にあるコンビニまで野外リハビリを兼ねて出かけた。
坂も途中息切れもすることなく登り切ることができた。
往復の時間30分、距離 2K強、歩数にして3121歩
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15:42, Friday, Jan 17, 2025 ¦ 固定リンク
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